『どうする家康』
あらすじと感想
2023年の大河ドラマ・松本潤さん主演『どうする家康』第36回【於愛日記】のあらすじと感想を、歴史に詳しくない大河ドラマ初心者のおばさんが好き勝手に書いています。
▼前回のあらすじと感想はこちら▼
『どうする家康』第36回「於愛日記」
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『どうする家康』第36回 主な登場人物
聚楽第が完成していたことと、北条氏規の上洛から、この回の時代は1588年としました。
()は1588年(天正16年)当時のおおよその年齢です。家康の年齢は公式サイトに合わせています。
- 徳川家康(47)・・・松本潤
- 本多忠勝(40)・・・山田裕貴
- 稲(小松姫)15・・・鳴海唯
- 本多正信(50)・・・松山ケンイチ
- 大久保忠世(56)・・・小手伸也
- 鳥居元忠(49)・・・音尾琢真
- 千代(不明)・・・古川琴音
- 渡辺守綱(46)・・・木村昴
- 旭姫(46)・・・山田真歩
- 於愛(西郷局)27または36・・・広瀬アリス
- 長丸(徳川秀忠)9・・・重松理仁
- 福松(松平忠吉)8・・・市村碧斗
- 羽柴秀吉(51)・・・ムロツヨシ
- 羽柴秀長(48)・・・佐藤隆太
- 寧々(北政所)39・・・和久井映見
- 茶々(淀殿)19・・・北川景子
- 北条氏政(50)・・・駿河太郎
- 北条氏直(26)・・・西山潤
- おふう(督姫)13または23・・・清乃あさ姫
『どうする家康』第36回 あらすじ
於愛の日記より
元亀3年(1572年)10月
最愛の夫・西郷義勝が戦死。
1572年というのは家康が武田信玄と絶縁し、三方ヶ原の戦いに突入する頃ですね。
西郷義勝は三河国の武将で、於愛との間には二人の子供もいました。
天正4年(1576年)5月20日
子供たちを祖父母に預け、家康の屋敷で働いていた於愛。万千代と間違えて殿の尻を叩いたことがきっかけで、家康の側室になることに。
家康を敬ってはいるけれど、於愛が慕っているのは元夫のみ。家康に向ける笑顔は偽りなのでした。
月日は過ぎ、現代へ。(1588年頃と思われる)
豊臣政権を支えることとなった家康は、旭姫とともに京・聚楽第(秀吉の政庁兼居館)へ。
未だ上洛を拒んでいる北条を何とかしないといけません。家康が北条にあげると約束した沼田領から真田がなかなか出て行かないので、ごねているのです。
北条には家康とお葉の娘・おふうが嫁いでいるのでしたね。秀吉は上洛しない北条に戦を仕掛ける気満々。これを避けるため、おふうは氏政・氏直親子の説得を頑張っています。榊原康政も説得係として出向いているようです。
真田には新しい領地を与えると言ってあるし、本田忠勝の娘・稲を養女にして輿入れすることも決まってるから大丈夫だと思うんだけどもね~と濁す家康。
ちなみに秀吉は新しい側室にご執心で奥に入り浸っているようです。(寧々談)
周りの者の生気を吸い取る物の怪、何でも欲しがる病等、寧々に言われ放題の秀吉w
その頃、駿府で留守番をしていた於愛は、息子の長丸や福松とともに、目の不自由な人たちに衣服や食料などの施しを行っていました。於愛自身が近眼だったので、似た境遇の人たちへ支援を行っていたのですね。
そんな於愛は近頃、度々胸に痛みを感じている様子😰
さて、ここで懐かしい人が出てきました。
武田の間者だった千代です。
家康は、武田滅亡後に行方知れずとなっていた千代を密かに捜していたようです。ドラマでは武田の重臣・馬場信春の娘という設定になっていました。千代は忍びとして有能だったので「真田あたりが拾って使っているのかも…」と家臣たちは噂していたようです。
そんな中、渡辺守綱が鳥居元忠の屋敷で千代を目撃し、言いふらして騒ぎになってしまいました。
元忠は半年も前から千代を匿っていたようで、正室亡き今、まるで夫婦のように千代と戯れていたのだとか。(元忠が馬場信春の娘を側室にしたのは史実)
これを知った忠勝は、元忠が真田の罠にかかったと勘違いして怒り狂います。「真田は信用ならん、稲を真田へ輿入れさせることなんでできん!!」
また時は遡り、於愛の日記。
天正7年(1579年)9月15日
瀬名、信康が自害。(築山殿事件)
打ちひしがれる家康を見て、この人を支えなければならないと思った於愛。家康が優しい笑顔を取り戻す日まで、偽りでも、笑顔でおおらかでいようと誓ったのでした。
はい、また現代。(1588年)
家康が京から戻ったので、元忠と千代の件を裁定します。
まずは元忠を赦した家康。
千代のことも罰するためや忍びとして使うために捜していたのではなく、同じ世を夢見ていた者同士ただその身を案じていたようです。忍びだった過去は捨て、鳥居元忠の妻となるよう命じました。
家康「幸せになることは、生き残った者の務めである」
於愛もハッとした顔をしていましたね…
また、この場にいた稲も、おふうが北条で果たしている役割を理解したこともあり、真田に輿入れすることを決意。
稲「真田家、我が戦場として申し分なし!!」
家康とともに時を過ごすうち、いつの間にか偽りではなく本当の笑顔ができるようになっていた於愛。
家康もやっと瀬名と信康との思い出を笑って話せるようになったのですね。(そういや五徳は元気かな)
於愛の方はその後まもなく亡くなりました。(1589年死去)
北条はというと、稲の輿入れでようやく重い腰を上げたのですが、氏政の弟である氏規を遣わすと言っています。
秀吉は当主が来ないことに激怒。「沼田を真田にも分けよ。納得しないなら滅ぼす」と言い出して家康困惑。
今や秀吉に意見できるのは寧々(北政所)と家康くらいだと秀長が憂いています。そんな秀長も病を患い、もう長くないのだとか😢
そして秀吉がご執心だという新しい側室が登場。ダーン!!その名も茶々(北川景子)!!お市の方にそっくり!(当たり前)
『どうする家康』第36回 感想
秀吉51歳、茶々19歳ですよ…。
ムロツヨシと北川景子だから普通に見られるけれど、年齢差考えたらヤバ。
年齢といえば、於愛の方は家康の側室になった当時で15歳か24歳という二つの説があるようです。
ここから更に遡ると、前の夫を亡くした時点では11歳か20歳になりますが、11歳ですでに二人の子持ちとはさすがに考えられなくないですか…?
しかも本当の気持ちを押し殺し、偽りでも殿のために笑顔でおおらかでいようと思えるのっていくら戦国時代といっても10代では無理かなぁと。ということで、私の中では家康の側室になった時は24歳説が優勢。
前の夫とのエピソードが今までにちらっとでもあればもっと感情移入できたかもしれないですね。あと前の夫との子供たちのことも。於愛の辛さがわかってなかったわ。
最後は心を通わせたとはいえ、ずっと於愛の嘘の笑顔に騙されて「笑顔が良い」とか「おおらかでいてくれたからじゃ」とか言ってた家康もなんか可哀想。家康も1番はずっと瀬名みたいなとこあるけど。
そして久しぶりに名前を聞いて元気かなと思い出した五徳。
彼女は信康亡き後、二人の娘を家康の元に残し織田家へ引き取られていった模様。娘たちは西郡局(お葉)が育てたそうです。
本能寺の変で信長が亡くなると、兄である織田信雄に保護されましたが、信雄が秀吉に改易されてからは秀吉の監視下に置かれていたようです。
明日どうなるかわからない人生ですねホント…
まとめ
この記事では、『どうする家康』の第36回【於愛日記】のあらすじと感想を書いています。