『どうする家康』
あらすじと感想
2023年の大河ドラマ・松本潤さん主演『どうする家康』第37回【さらば三河家臣団】、第38回【唐入り】、第39回【太閤、くたばる】、第40回【天下人家康】のあらすじと感想を、歴史に詳しくない大河ドラマ初心者のおばさんが好き勝手に書いています。
▼前回のあらすじと感想はこちら▼
Contents
『どうする家康』第37回「さらば三河家臣団」
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直政かわいい↑
『どうする家康』第37回 主な登場人物
()は1589年(天正17年)当時のおおよその年齢です。家康の年齢は公式サイトに合わせています。
- 徳川家康(48)・・・松本潤
- 本多忠勝(41)・・・山田裕貴
- 榊原康政(41)・・・杉野遥亮
- 井伊直政(28)・・・板垣李光人
- 本多正信(51)・・・松山ケンイチ
- 大久保忠世(57)・・・小手伸也
- 鳥居元忠(50)・・・音尾琢真
- 平岩親吉(47)・・・岡部大
- 服部正成(47)・・・山田孝之
- 旭姫(47)・・・山田真歩
- 阿茶局(35)・・・松本若菜
- 豊臣秀吉(52)・・・ムロツヨシ
- 石田三成(29)・・・中村七之助
- 織田信雄(31)・・・浜野謙太
- 西笑承兌(41)・・・でんでん
- 寧々(北政所)40・・・和久井映見
- 茶々(淀殿)20・・・北川景子
- 北条氏政(51)・・・駿河太郎
- 北条氏直(27)・・・西山潤
- 伊奈忠次(39)・・・なだぎ武
『どうする家康』第37回 あらすじ
天正17年(1589年)5月
茶々が秀吉の初子である鶴丸を出産。
勢いづいた秀吉は関東の北条攻めを決定。北条を滅ぼしたらその地を治めよと家康に命じました。これは今まで徳川が築き上げてきた所領を取り上げるということ。いわゆる国替えです。
さらに唐をも手に入れようとしている秀吉。
それを先導したのが豊臣家外交顧問を務める西笑承兌(せいしょう・じょうたい)という僧でした。中国語ができたようです。
駿府城には阿茶局(あちゃのつぼね)の姿がありました。
阿茶は家康の側室であり、軍議にも参加する信頼の厚い同志といった感じ。ドラマでは今回初登場ですが、実は10年前(1579年)から家康の側室として存在しており、於愛の方が亡くなった後、長丸と福松の面倒を見てきたようです。
国替えのことを家臣たちが知れば動揺してしまうだろうということで、本多正信と阿茶以外には秘密にして北条攻めを行うことに。
天正18年(1590年)
2月10日に徳川勢が、3月1日に秀吉勢が小田原へ向けて出陣しました。
6月になっても籠城を続けている北条。そんな中、笠懸山に突如として現れた城。秀吉が小田原から見えぬようこっそり築城し、出来上がったところで周りの木々を一斉に伐採、まるで一晩で城が出現したかのように見せた“一夜城”です。
これに驚愕し、士気が低下した北条はついに降伏。
氏直は助命されましたが、氏政は切腹することとなりました。
氏政は氏真の妻・糸(志田未来)の兄だったんですね。亡き瀬名が目指していた世を、氏政も願っていたようです。
氏政「関東の隅で侵さず侵されず民と穏やかに暮らしていたかっただけ。なぜそれが許されんのかのう!!!(# ゚Д゚)」←気持ちはわかるよ…😢
これにて小田原合戦終結。
秀吉より、武蔵・江戸を治めるように命じられた家康。
さらに家臣たちも城持ち大名になることに。
まるで徳川をバラバラにして家康の力を削ごうとしているかのよう。こんなの従えるか!と思った家康でしたが、治部殿(石田三成)から国替えに反発した織田信雄が改易されたことを聞き、受け入れざるを得なくなりました。
改易:領地や身分を取り上げること😱
これまで命を懸けて守ってきた国を取られることとなり、家臣たちを心配する家康でしたが、正信と大久保忠世が密かに話してくれていたおかげで、みんなとっくに覚悟ができていたのでした。
今川・武田が滅び、織田も力を失ったこの乱世を、田舎の一大名に過ぎなかった徳川が生き延びた、それだけで十分だと言う家臣たち😭
- 徳川家康 武蔵・江戸
- 井伊直政 上野・箕輪(こうずけみのわ)
- 榊原康政 上野・舘林
- 本多忠勝 上野・万喜
- 鳥居元忠 下総・矢作
- 平岩親吉 上野・厩橋(こうずけまやばし)
- 大久保忠世 相模・小田原
こんな感じでそれぞれ治めることになりました。
大久保忠世は正信が追放されている間、その妻子の世話をしていたようです。
ついに秀吉の天下一統となるも、天正19年(1591年)2月15日に弟の秀長が、8月5日には幼い鶴松が相次いで病死。
天正20年(1592年)正月
江戸普請奉行・伊奈忠次を中心に江戸の町づくりに勤しんでいる家康のもとへ、秀吉から「唐入り」を宣言する朱印状が届きます。
『どうする家康』第37回 感想
小手伸也さんが大久保忠世にしか見えない。
本名大久保忠世でしょってくらい、「忠世兄」にしか見えない!!
それにしても「国替え」って現代の価値観ではなかなか想像できません。
社長交代みたいなもん?でも国だから…日本の政治家が外国人に総入れ替えになるような感じと言ったら大げさすぎ??どうしても庶民の側から想像してしまいますがw
『どうする家康』第38回「唐入り」
『どうする家康』第38回 主な登場人物
()は1592年(天正20年)当時のおおよその年齢です。家康の年齢は公式サイトに合わせています。
- 徳川家康(51)・・・松本潤
- 本多忠勝(44)・・・山田裕貴
- 渡辺守綱(50)・・・木村昴
- 服部正成(半蔵)50・・・山田孝之
- 阿茶局(38)・・・松本若菜
- 豊臣秀吉(55)・・・ムロツヨシ
- 前田利家(53)・・・宅麻伸
- 石田三成(32)・・・中村七之助
- 大谷吉継(27または33)・・・忍成修吾
- 浅野長政(45)・・・濱津隆之
- 豊臣秀次(24)・・・山下真人
- 寧々(北政所)43・・・和久井映見
- 仲(大政所)76・・・高畑淳子
- 茶々(淀殿)23・・・北川景子
- 足利義昭(昌山)55・・・古田新太
『どうする家康』第38回 あらすじ
天正20年(1592年)5月
秀吉は博多の隣の小さな漁村に名護屋城を建造。
家康をはじめ、全国各地から名だたる大名を終結させると、10万を超える大軍勢を朝鮮に送り込み連戦連勝のお祭り騒ぎ🎉
関白職は甥の豊臣秀次に譲り、自らを「太閤」と称しました。
まもなく秀吉本人の唐入りの準備が進められ、前田利家、石田三成、大谷吉継、家康らを前に、朝鮮を落としたら次はいよいよ明国だと息巻いています。
そんな中で浅野長政は秀吉を罵倒していました。こんなのはバカげた戦で、殿は狐🦊に憑りつかれていると…。
本当はみんなそう思っているかもね~うんうん最近の秀吉マジやば~…と家康と阿茶が話していると、かの藤堂高虎の水軍がやられたという噂が入ってきました。
この一大事を秀吉に伝えていないらしい治部殿(石田三成)。
そもそもこの戦自体無理があるし、水軍がやられたからには秀吉の唐入りを止めるべきだと言う家康と、秀吉は今まで間違った判断をしたことがないと言う石田三成。
同年7月
秀吉の母・仲(大政所)が死去し、秀吉は大阪城へ。最期まで周りに詫びていた仲の思いを汲み、「これ以上何が欲しいっていうんやおまえは元百姓やろ少しは身の程をわきまえなされよ」と秀吉を叱った寧々。
自分の留守中に何か困ったことがあれば前田利家に相談しろと茶々に伝えていた秀吉でしたが、茶々が向かったのは家康のところでした😋
本当の父はあなた様なのかもしれないとか守ってほしいとか言って家康を惑わします。阿茶が狐を払いに来なかったらどうなっていたことか。
家康が服部半蔵に探らせたところによると、やはり朝鮮での戦果は思わしくない模様。
家康は秀吉に茶々を遠ざけるよう進言しますが、言うことを聞かないので本音をぶちまけます。
家康「目を覚ませ、惨めぞ猿!!」
それでもなかなか狐から逃れられない猿でしたが、出家していた元将軍・昌山(足利義昭)の登場もあってようやく目が覚めたようです。
昌山「てっぺんが独りぼっちだってこと、ワシはよく知ってるよ。信用する人間を間違えると大変なことになるよ」
それだけ言って去って行きました。昌山は色んな大名のところを回っては昔の自慢話をしているようですw
生まれた時から忠実な家臣たちに囲まれキャッキャしている家康のことがずっと羨ましかった秀吉。「本当は何が欲しかったんだか…」という、かか様(仲)の言葉がよぎります。
文禄2年(1593年)5月
茶々を京へ帰し、ついに明との戦を休止させた秀吉。
和睦に向けた話し合いを始めることになりましたが、そんな矢先、茶々が第二子を身ごもりました👶
『どうする家康』第38回 感想
なんか秀吉が可哀想になってきてしまいました。
お市の方が亡くなった頃の茶々(子役時代)から今の茶々は結びつかないと思っていたけれど、「ダーン!!」は、秀吉に復讐するための演技だったんですかね。死ぬほど憎い人間を頼らずには生きられないというのも辛い。
母を見捨てた家康のことも相当恨んでると思いますが。
『どうする家康』第39回「太閤、くたばる」
#どうする家康 このあと午後1:05~ 再放送
🔖第39回「太閤、くたばる」
秀吉、ついに死す。
家康は忠次から、最後の願いを託され…
さらに、家康の息子・秀忠が登場!▼ 見逃し配信は【10/22(日) 午後8:44】までhttps://t.co/NF1TuSlxla pic.twitter.com/lvqPwV0YPa
— 大河ドラマ「どうする家康」 (@nhk_ieyasu) October 21, 2023
『どうする家康』第39回 主な登場人物
()は1593年(文禄2年)当時の年齢です。家康の年齢は公式サイトに合わせています。
- 徳川家康(52)・・・松本潤
- 徳川秀忠(14)・・・森崎ウィン
- 酒井忠次(66)・・・大森南朋
- 登与(碓井姫)64・・・猫背椿
- 井伊直政(32)・・・板垣李光人
- 阿茶局(39)・・・松本若菜
- 豊臣秀吉(56)・・・ムロツヨシ
- 前田利家(54)・・・宅麻伸
- 石田三成(33)・・・中村七之助
- 小西行長(35)・・・池内万作
- 西笑承兌(45)・・・でんでん
- 豊臣秀次(25)・・・山下真人
- 寧々(北政所)44・・・和久井映見
- 茶々(淀殿)24・・・北川景子
『どうする家康』第39回 あらすじ
文禄2年(1593年)8月
茶々が秀吉との第二子「拾(豊臣秀頼)」を出産。
明国との和議もまとまりそう?でも秀吉の出した条件は
- 明国の王女を天子様(天皇)の妃に
- 朝鮮の王子を差し出させる
- 朝鮮の南半分の領地を得る
どう考えても無理じゃね??ってことで思わず阿茶も↓
阿茶「耄碌しても天下人は天下人。難儀なことでございます」
三成・忠勝「…😲!」
家康「ゴホンゴホン😇💦」
三成の夢は、天下人の座を力で奪い合うのではなく、天下人を支えながらみんなで知恵を出し合って政を行うこと。(改めて文字にすると小学生のめあてみたい)
文禄4年(1595年)・京
14歳になった徳川秀忠(長丸)が茶々の妹である江と祝言を挙げたので、家康は秀忠と井伊直政を連れて隠居中の酒井忠次に挨拶に行きました。
家康に天下を取れと言う忠次。
もうほとんど目も見えないながら、最後の海老すくい🦐をみんなで踊ります。
その3ヶ月後のある冬の日のこと。そんなわけないのに「殿から出陣の陣触れがあった」と甲冑を身につける忠次と、何かを察して涙ながらにその手伝いをする妻・登与。準備が整った忠次が再び動くことはありませんでした…😭
文禄5年(1596年)9月1日 大坂城
明国皇帝からの和議への返事に満足した秀吉ですが、実はこれは戦を終わらせるために小西行長らがでっちあげた偽物で、すぐバレました。
戦じゃ~!!と怒り狂う秀吉を宥める家康。しかし耄碌じじいは聞きません。
慶長2年(1597年)6月
誰も望まない第二次朝鮮出兵開始。
そして秀吉が倒れます。
死期が近いことを悟った秀吉は、まだ幼い秀頼を心配して三成を呼びつけ遺言を作ることに。
天下人は無用、豊臣家に忠義のある者が話し合って政を進めるべきだと言う三成に同意する秀吉。
しかし家康には「世の安寧や天下なんぞどうでもええ。秀頼が幸せならそれでええ」と単なる老人のようなことを言っていました。
さすがに怒る家康。
「唐、朝鮮の怒りを買い、秀次を死に追いやり、諸国大名の心は離れ民も怒っている。
こんなめちゃくちゃにして放り出すのか!!」
関白職を譲られた豊臣秀次の死が家康の台詞であっさりと伝えられましたが、調べてみたら冤罪で本人はもちろん家臣も妻子も一族もろとも皆殺し??酷すぎてドン引きしました。
秀吉は朝鮮のことももうどうでもいいようです。「あとはおめえがどうにかせえ」すごい丸投げ。
家康との話は終わりましたが、なかなかくたばらない太閤。
そう。ラスボス・茶々が残っています。血を吐いて助けを呼ぼうとする秀吉を氷のような眼差しで見つめる茶々。
トドメは
「秀頼はあなたの子だとお思い?
秀頼はこの私の子。天下は渡さぬ。あとは私に任せよ、猿!!」
お市が乗り移ってた??
こうして秀吉の天下は終わったのでした。
『どうする家康』第39回 感想
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徳川四天王の一人、酒井忠次の死。(1596年)
しかしその前に大久保忠世兄がひっそりと亡くなっているのですよ!!!ツライ。(1594年没)
その後には服部半蔵も亡くなります😭(1597年没)
わちゃわちゃしていた家臣たちがどんどん亡くなっていくの寂しすぎます。
集まれば人の悪口ばかり言っていたことさえ懐かしい…
秀吉に「猿!!」と言った茶々は子役時代の茶々と重なりました。でもその後我に返って泣き出して。情緒不安定。大丈夫ですか?
『どうする家康』第40回「天下人家康」
『どうする家康』第40回 主な登場人物
()は1598年(慶長3年)当時のおおよその年齢です。家康の年齢は公式サイトに合わせています。
- 徳川家康(57)・・・松本潤
- 本多忠勝(50)・・・山田裕貴
- 本多正信(60)・・・松山ケンイチ
- 阿茶局(44)・・・松本若菜
- 結城秀康(24)・・・岐洲匠
- 前田利家(59)・・・宅麻伸
- 石田三成(38)・・・中村七之助
- 寧々(北政所)49・・・和久井映見
- 茶々(淀殿)29・・・北川景子
『どうする家康』第40回 あらすじ
慶長3年(1598年)秋
豊臣秀吉逝去。
今後のことを話し合うために伏見城に集まったのは、豊臣政権の実務を担う5人の奉行↓
- 石田三成
- 浅野長政
- 増田長盛
- 徳善院玄以
- 長束正家
と、大きな力を持つ5人の大名↓
- 前田利家 83万石
- 毛利輝元 112万石
- 上杉景勝 120万石
- 宇喜多秀家 57万石
- 徳川家康 250万石✨
家康ダントツじゃーん
秀頼が成長するまで、5人の奉行が政治を行い、5人の大名がそれを支えるということになりました。
みんなで知恵を出し合っていこうね★
けれど、こうはっきりと力の差があったのでは、結局家康の言うことを聞く羽目になるのでは…と思っている大名も少なくありません。三成にのしかかる重いプレッシャー。
目下の難題は、泥沼と化している朝鮮出兵です。
11月になり、ようやく豊臣軍の撤退が開始され、加藤清正、黒田長政らが帰ってきました。
頭は切れるが人の心が読めない三成。想像を絶する過酷な戦いから戻った彼らを労ったつもりが「戦のしくじり」とか言って逆に怒らせてしまいました。
その怒りは収まらず、加藤たちは「三成に戦の責めを負わせるべき」と家康に訴えてきます。
しかし三成も折れません。酒でも交わして詫びてみては?と寧々に言われるも、なぜ間違ったことをしていない自分が詫びなければいけないのか、と聞く耳を持ちません😓
寧々はもう三成を見限って家康を頼ってますよ。
諸国にも不穏な動きが。伊達政宗は秀吉が死んだことをあからさまに喜んでいるとか。再び世が乱れるのを望んでいる者が大勢いるのです。
これらをまとめ上げなければならない三成が苦しい立場に立たされていることは間違いありません。
忠勝「三成の手には負えない。家康が表に出るべき」
正信「今はまだその時ではない。せいぜい裏で怪しい者の首根っこを押さえておくのが得策」
怪しい者たち=伊達・福島・加藤・蜂須賀・黒田…
慶長4年(1599年)大坂城
6歳になった豊臣秀頼が大坂城へ移り住むことになり、茶々も来ました。
秀頼を守ると約束する三成。が、家康の狸っぷりを知っている茶々は、三成なんかにまとめられるのかよー😩心配しています。
茶々「家康は平気で嘘つくやつだよ」
↑なんもいえない。
▼第30回「お市様を助ける→助けない」の回▼
他にも「信長はワシが討つ→討てない」「光秀の首はワシがとる→とれない」「秀吉はワシが倒す→倒せない」といつも口だけの家康。
そんな中、家康が裏で動いていたことがバレ、三成に「天下簒奪(さんだつ)の野心あり」とみなされました。
バレたら謝ると言っていた通り、開き直って謝る家康。戦も辞さない構え。(←謝ってないw)
10人の中で前田利家おじいちゃんだけは家康の立場も分かってくれて三成との間を取り持とうとしてくれていますが、真っ直ぐすぎる三成は百戦錬磨で歪んだ狸には歩み寄れないのです。
決裂✖✖✖
三成が生まれたのは桶狭間の戦いが起こった1560年。その頃にはもう大高城への兵糧入れを成功させていた家康。
今川義元のもとで育ち、信長、信玄、勝頼、秀吉と渡り合ってきた家康は、多くの者にとって神代の昔のオロチに見えているのだろうと言う利家。つまり妖怪。三成だけでなく、みんな家康が怖いのです。
利家は家康に「(天下人になる)腹を括るしかないのでは」と言い残し、まもなくこの世を去りました。
その直後、三成への怒りが抑えきれない加藤らは、三成を奉行から降ろすべく暴動を起こします。
正信もここらが潮時だと言い出しました。いよいよ家康が表舞台に立つ時が来たのです…
全ての政務から手を引き、近江佐和山へ隠居することになった三成。
最後まで「自分は間違ったことはしていない」と言ってます。もうわかったから。
家康の次男で、秀吉の養子となっていた息子・結城秀康(於義伊)が三成を佐和山まで送ることに。
家康は三成に「また一緒に星を見ようね🌟」って誘ったけど、断られちゃったw
『どうする家康』第40回 感想
石田三成ってこんな感じの人だったのですか?
歴史に疎いけれどもかっこいい人のイメージだったのに。
しかし三成の立場を考えると胃が痛くなりそうですね。よく頑張ったと思います。
家康は天下人になりたくないの?なりたいの?
そんな気なかったけどみんなが持ち上げるからぁ~って感じに見えました。
まとめ
この記事では、『どうする家康』の第37~40回のあらすじと感想を書いています。