『どうする家康』
あらすじと感想
2023年の大河ドラマ・松本潤さん主演『どうする家康』第2回【兎と狼】のあらすじと感想を書いています!
今回も歴史を知らないおばさんは色々と調べながら見ましたよ!
▼第1回のあらすじと感想はこちら▼
『どうする家康』第2回「兎と狼」あらすじ
今回は現在と過去を行ったり来たりで、歴史を知らぬ者にとってはちょっと混乱する回だったのではないでしょうか…。
誰でも知っている徳川家康だからこそ、あえて歴史の順番通りにやらなくても大丈夫でしょって感じだとしたら、私はついていけないかもしれませんw
家康、誕生
天文12年(1543年)三河・岡崎城
於大の方(おだいのかた)が家康を出産するシーンから始まりました。昔の出産シーンでよく見かけるあの紐(縄?)、案外良さそうだなと思うんですよね。思い切り力が込められそう。
そんな於大の方を演じているのは松嶋菜々子さんです!
ちなみに家康の父・松平広忠を演じているのは飯田基祐さんですね。
家康は「寅の年 寅の日 寅の刻」に生まれたので、寅の化身のようにたくましくなるに違いないと言う於大さま。
ライオンキングみたいなお披露目w
決断を迫られる家康
そして場面は現在(1560年)へ。
桶狭間合戦の最前線に取り残された家康に迫り来るのは、織田信長。
「待ってろよ、俺の白兎!ハハハハハ…!」
大高城では、字幕がないと何て言っているのかわからない鳥居忠吉じい(イッセー尾形)が、「治部大輔(じぶのたいふ)様がお討ち死になひゃれ」と言っていましたね。
まーたすぐに知らない言葉が出てきた~と調べたところ、治部大輔というのは今川義元の役職名と言ってよいのではないでしょうか。岸田さんのことを「総理」と呼ぶようなものです多分。
義元亡き今、総大将は家康です。軍の進退を決めなければいけませんが、寅の化身とは思えぬ優柔不断ぶり。
そうこうしている間に、信長ご一行様、大高城到着でーす!
「竹千代ー!逃げぬとは、あっぱれじゃ」
(あえて逃げなかったわけではないけどw)
ちなみに1話目でも触れましたが、「竹千代」は、家康の幼名です。
家康と信長の出会い
12年前。
織田と今川、東西から攻め込まれた家康の父・広忠は家康を信頼する戸田宗光に預け、安全なところに逃がすことに。
※実際は織田に攻め入られた松平が今川へ援軍を求めたところ、その見返りとして家康を人質として差し出すよう求められたため、今川方へ送るはずだったようです。
しかし戸田の裏切りにより、尾張の織田方へ連れて来られた家康。信長に子兎扱いされていじめられます。
ちなみにこの時に「家康と信長が知り合った」という史料はないようですね。
信長と家康は9歳差。
この時家康は6歳なので、信長は15歳ということになりますね。
ということは、桶狭間の時は18歳と27歳。
織田信長の父・信秀(藤岡弘、)から家康の父・広忠に書状が届きます。
「今川と手を切らなければ竹千代(家康)の命はない」
戦国時代とはいえ、卑劣ですね。広忠は苦渋の決断で「竹千代のことはいかにしようと勝手なり」と、あくまでも今川への忠誠を示します。
それならば…と信秀によって処刑されそうになったところを、「俺のおもちゃを勝手に処分してくれるな。生かしておけば使い道もありましょう」と止めたのが信長でした。
信長のおかげで命拾いした家康。
その後の信長からの仕打ちは、いじめられていたというより「鍛えられていた」とも言えるような。幼い家康にはトラウマになったかもですが。
駿府か、三河か
また現在(1560年)。
はなから攻め入る気はなかったのか、家康を怖がらせるだけ怖がらせたあと、あっさりと引き上げていった織田軍。
家康は瀬名の待つ駿府へ帰りたいと言います。しかし三河・岡崎城からの書状で、城代(留守の城を守る役目)の山田が討ち死にし、家来衆は駿府へ帰ったとの情報が。城を守る者がいないということは、今岡崎が攻め入られたら…と、岡崎に家族がいる家臣たちは岡崎へ帰りたがります。
駿府に帰りたい家康 vs 岡崎へ帰りたい家臣たち
結局、三河領に入ったところで別れることに。
夜、三河領・矢作川まで来ました。
家臣たちが岡崎へ向かおうとしたところ、敵が…!
現れたのは三河国衆の松平昌久。大草松平家の当主です。
家康と同じ松平なんだけど、家康の祖父が昌久の父から岡崎城を勝ち取った(奪い取った)という因縁があるようです。
親族だけど敵。殺し合いはしないけど、現代でもありますね。
戦の有様を聞いて家康たちを迎えに来た、今こそ松平は一つになるべきだと言っています。しかし大草松平にはかつて何度も裏切られているようで、信用ならないと口々に言う家臣たち。
しかし…家康は昌久を信じることに。
家康が姿を見せるな否や、やっぱり裏切られ、襲い掛かってきました。家康の前に進み出たじいが左肩を撃たれます(´;ω;`)ウッ…
家康は咄嗟に飛び出してきた本多忠勝(山田裕貴)に守られて、間一髪助かりました。
大樹寺にて
岡崎城の北3キロにある大樹寺に逃げてきた家康たち。
ここには住職の登譽上人(とうよしょうにん)演:里見浩太朗と、寺で学ぶ若者・榊原小平太(さかきばらこへいた)演:杉野遥亮がいます。
怪我人の手当てをしていると、昌久の軍が追ってきました。でも中には入ってこないで石を投げてくるだけですね。
当時、寺社は聖域でした。
現代で言う治外法権に近い権利を持っており、昌久軍は大樹寺内に攻め込むことができないのです。
家康を出せと騒ぐ昌久。
自分の判断ミスで大勢の犠牲を出してしまった家康は、寺にある一族の墓所で切腹しようとします。(じいはかろうじて生きてた)
そこへ来たのは本多忠勝。
なんとなく止めてほしそうな家康ですが、忠勝は介錯を申し出ました。
介錯とは。
切腹に際し、本人を即死させてその負担と苦痛を軽減するため、介助者が背後から切腹人の首を刀で斬る行為。Wikipediaより
「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」
家康が「汚れたこの世を離れ、極楽浄土へ行けという教えじゃ」と言えば、「そうするがよい」と答える忠勝w
忠勝がこのような無礼な態度をとるのは、家康を主君と認めていないから。忠勝の望みはただ一つ。自分の命を捨てるだけの値打ちがあるお方を主君と仰ぎたいのです。
家康は、信長に虐げられた(というより鍛えられていた)竹千代時代、「兎ではない!寅じゃ!」と反撃したのを思い出しました。そしたら信長は「そうだ、その目じゃ。その目を忘れるな」と言ってくれたんですねー。
家康、なんか覚醒した?
さらに、家康と忠勝のやりとりを陰から見ていた小平太(杉野遥亮)が、家康の間違いを正してきました。
「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」というのは、あの世に行けという意味ではなく、汚れたこの世をこそ、浄土にすることを目指せという意味だと。
家康はこの言葉を旗印に使っていたそうです。それを調べていたら素晴らしい作文を見つけたので是非読んでみてください。小学6年生の子が書いた作文ですが、とてもわかりやすくて感動しました。
第12回「徳川家康公作文コンクール」
家康賞(優秀賞)「『厭離穢土 欣求浄土』の思い」
德川記念財団HPより
さらに覚醒した家康。
昌久軍の前に堂々と姿を現し、岡崎へ帰ることを宣言。
「岡崎で我が帰りを待つ1000の兵たちが怒りの業火となって貴殿の所領に攻め入るであろうから、しかと覚悟せよ!
また一旦は敗れたる今川であれど新当主氏真様のお力で早晩立ち直るは必定!
一度に相手できるならかかってこい!」
家康の気迫に恐れおののき、モーセが海を割ったみたいに道を空ける昌久軍。
道を行く家康の背中を見ていた小平太の目も変わっていましたね。武家の次男坊が勉強したってどうせ無駄、みたいに言っていましたが。
余談
「寅の年 寅の日 寅の刻」に生まれた家康。寅の化身のようにたくましい武者に…と思いきや、実は年が明けて兎の年生まれだったというオチ。
最後も家臣たちの前でかっこつけた後、へなへな~っとなっていたしねw
回想シーンでは、実は兎年だったことに気づいて焦る広忠に対し、「数日早く生まれたことにすればよいのです♪」と明るく仰る於大さまの姿が。
家康は3歳で於大の方と生き別れていますが、それまできっとしつこくしつこく「あなたは寅の生まれだから」と刷り込まれていたんだろうな~と思いましたw
父・広忠は亡くなっていますが、母・於大の方は生きていますね。次回登場するようなので楽しみです。
『どうする家康』第2話 感想
やっぱり色々調べないと全然理解できませんでしたw
松平昌久って誰?なんでお寺の外から石投げるだけなの?藤岡弘、と岡田准一の織田親子って強すぎてすでに天下統一しちゃってない?とかw
『どうする家康』のロゴも、オープニング映像もポップだし、てっきり初心者にも優しい大河かと思っていたわ~~
あとまぁ家康は「狸爺」のイメージだったけど、実はビビリでヘタレだったの?とかも。
でも信長に対してはビビリながらも「寅じゃあ!」と反撃したりしていたから、芯の強さは持っていたということでしょうか。
第1回で今川義元に言われていた「妙な技」というのは、信長に鍛えられたあの相撲みたいな取り組みのことかな。
今回出番の少なかった有村架純さん演じる瀬名姫。ドラマでは可愛い奥さんだけど、実際はどんな人物だったのか気になって調べたら、なんかとんでもない姑になってたw
待ち受ける運命も苛酷なようで。
歴史物って何をどんなに望んでも結末は決まっているところが良くもあり、辛くもあり…
家康の生涯もざっと読みましたが(学校で習ったはずだけど全部忘れた)、まだまだ青臭い元康がこれからぶち当たる壁高すぎない?あのヘタレに耐えられるの?!よく天下統一できたなぁ…と思いました。石川数正(松重豊)や忠勝みたいな家臣がいてホント良かったね。
戦国時代に生まれなくて良かった。(結局そこ?w)